治したい気持ちが境界線を越えた日——大切な人の病気と、私の独りよがりな愛

夫の難病がわかったとき、私はただただ怖かった。
原因がわからない、根本治療もない——その現実が受け止められなかった。

何かできることはないかと、必死に探し続けた。

東に漢方の名医がいると聞けば夫を連れて行き、
西に鍼灸の先生がいると聞けば長距離運転をして向かった。

もちろん、地元の総合病院での標準治療は続けていた。
でも、対処療法だけでは足りないように感じてしまった。
あの頃の私は、行動していないと精神が持たないほど不安だったのだと思う。

処方された漢方薬は、おがくずのような薬草を煮出す本格的なもの。
家で1時間煮出すと、部屋中に広がる独特の匂い。
煎じ薬は苦くて、夫は飲むのが辛そうだった。

それでも私は「彼のためだ」と言い聞かせていた。

しかしいつの間にか、心のどこかが歪んでいった。

「私はこんなにあなたのために頑張っているのに」

そう思ってしまった瞬間、愛は押しつけに変わっていた。

夫はその治療を望んでいたわけではなかった。
私は「治したい」という愛を盾にして、
夫の意思よりも自分の焦りを優先していたのだ。

その重さを、知らず知らずのうちに彼に背負わせていた。

お金も労力も続かなくなって治療をやめたとき、
ようやく気づいた。

これは“夫の病気”をどうにかしたかったというよりも、
どうにもならない現実に直面するのが怖くて、
私が安心したかっただけなのかもしれない
と。


目次

あの頃の私に伝えたいこと

あの頃の私は、本当に余裕がなかった。
ただ、彼のためにできることがあるなら何でもしたかった。
そして何より、「行動すること」こそが心の支えだった。

でも今ならわかる。

夫の病気は夫のもの
彼の人生であり、彼の身体であり、
何より——彼の意思が一番大切。

私はその上で、
私ができる範囲だけ、そっと手伝えばよかったのだ。

そのことに気づくまでには、時間がかかった。

もちろん今でも、彼の病気を思うと胸が痛む。
治せるものなら治してあげたいと思う瞬間もある。

でも人生には、
自分の力ではどうにもならない領域があることを知った。

どうにもならないことを握りしめて苦しむより、
私はこう思うようになった。

やれることだけやる。
自分の範囲を越えるものは天に任せる。

これは諦めではなく、
“明らめる”という静かな受容だ。

境界線を守ることは冷たいことではなく、
相手の人生を尊重するという深い優しさなのだと、
あの経験が教えてくれた。

あの頃の私に、そっと伝えたい。

「あなたはよく頑張っていたよ」と。


関連記事はこちら

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

菊池百合子|50代・飲食店経営・海と山のある地方都市在住
家を手放して暮らしを再設計し、
50代からのお金・不動産・介護・働き方を整えてきた生活者です。
不動産売却の実体験、介護と仕事の両立、NISAや高配当株の運用など、
「人生後半を軽やかに生きるヒント」を等身大で発信しています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次