無断課金が発覚したあの日。
私は怒りで胸が熱くなって、そのあと急に深い悲しみが押し寄せてきた。
「どうしてこんなことになったんだろう」
「気づいてあげられなかった私の責任かもしれない」
自分の中のいろんな感情がぐしゃぐしゃに絡まって、
私は一度、家を出て距離を置くことを選んだ。
家族と離れて静かな場所に座ったとき、
ようやく心のざわつきが少しずつ落ち着いていった。
そこで初めて、胸の中に一本の線を引けた気がする。
やったことと、あなた自身の価値は別のもの
怒りと悲しみの中で、私は気づいた。
「やったこと」と「その子の価値」を同じ場所に置かないほうがいい。
まるで
“罪を憎んで人を憎まず”
という言葉のように。
無断課金という“行為”は確かに間違いだった。
そこは母として厳しく向き合わないといけない。
でも、
それとあなたの存在そのものは別問題だ。
そう思えた瞬間、私の中の感情がすっと整理された。
責任は取る。でも存在は否定しない
家に戻ってから、まず伝えたのは「償い」の部分だった。
・将来自分で稼げるようになったら返すこと
・青少年サポートセンターの更生プログラムを受けること
・家族の一員としての役割を考えること
これは、
この家で生きていくための“ルール”として必要なこと。
やったことには責任を取る。
それは子どもにとっても大切な成長になる。
でも私は同時に、はっきり伝えた。
「それでも私はあなたを愛している」
償いの話をした後、私はこう言った。
「この家にあなたの居場所はちゃんとあるよ」
「安心していいよ」
「必要なものは揃えるし、あなたがここで過ごせるように私は支えるよ」
行為を正すことと、
その子の存在を丸ごと認めることは、
まったく別の話だ。
むしろ、
存在を肯定してこそ、行動は変わっていく。
子どもは自分の価値を疑い始めると、
罪悪感で心を閉ざしてしまう。
でも、
「あなたの価値はここにちゃんとあるよ」
と伝えれば、
間違いからでも立ち直れる。
距離を置くことで見えた“境界線”
あの日、私が家を出たのは逃げたからじゃない。
感情に飲み込まれたまま話すと、
傷つけてはいけない部分まで踏み込んでしまう気がしたから。
距離を置くことで見えたのは、
親子の境界線 だった。
親であっても、
子どものすべてを抱え込む必要はない。
間違った“行為”にはルールを示す。
でも“あなたという存在”は守る。
この線が引けたとき、
私は母として一段階成長できた気がする。
あの日の出来事が教えてくれたこと
無断課金事件は、辛かった。
正直に言えば、心が折れそうな瞬間もあった。
でも今振り返ってみると、
あれは家族にとって必要な出来事だったのかもしれない。
怒りも悲しみもあったけれど、
その奥には
「もっと良い関係をつくるための種」
がちゃんとあった。
子どもは間違える。
大人だって間違える。
でも、
間違えたあとにどんな関わり方をするかで、親子関係は何度でも育ち直せる。
時間がたった今、
私はあの日の自分に、
そしてあの時の子どもに、
ようやく少し優しくなれた気がします。
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