体が動かなくなってからでは、使えないお金がある

夫と一緒に楽しんでいた趣味がある。
体力と気力の両方を使うもので、若い頃は当たり前のように続けていた。

けれど、夫は体の事情でそれができなくなった。
今は私だけが、その趣味を続けている。

月に一度ほど、気の合う仲間と集まって楽しむ時間。
ただ、その過ごし方は少しずつ変わってきた。

若い頃は、体力に任せて思いきり動けた。
今は無理をせず、途中で休みながら、自然とお喋りの時間が増えている。
それでもやはり体力は使うし、遊んだあとはしっかり疲れる。

ふと、こんなことを考えるようになった。
あと何回、こんな時間を過ごせるのだろう。

仲間たちも、一緒に歳を重ねている。
誰かが怪我をしたり、体調を崩したり、生活の事情が変わったり。
いつまでも同じように集まれるわけではないことを、
言葉にしなくても、皆どこかで感じている。

人生の中で、
気力も体力も満ちている時期は、思っているより短い。

その一番元気な時期は、
子育てに追われていたり、
自分に使えるお金がなかったりして、
気づけばあっという間に過ぎてしまう。

今は人生の折り返しを過ぎたあたり。
全盛期とは言えないけれど、
まだ少し体力があって、
以前よりは自分のために使えるお金もある。

時間は相変わらず足りない。
それでも、「今ならできること」は、確実に残っている。

友達と一緒に体を動かしたあと、
汗を流して温泉に入り、ラーメンを食べる。
私にとっては、それがいちばんのご褒美だ。

特別な店でなくてもいいし、
高級な食事である必要もない。
体を使ったあとに食べる温かいものは、
驚くほどおいしく感じる。

家に帰るころには、体はしっかり疲れている。
でもその疲れは、嫌なものではない。
ベッドに入ると考える間もなく眠りに落ち、
翌朝には不思議なくらい気力も体力も回復している。

動いて、疲れて、眠って、回復する。
この循環は、体が元気でなければ成立しない。
当たり前のようでいて、実はとても贅沢な状態なのだと思う。

もっと歳を重ねて、体が思うように動かなくなったとしても、
この時間が無駄になることはない。
むしろ、そのときにこそ価値を持つ。

一緒に笑ったこと。
疲れながら交わした他愛のない会話。
同じ時間を共有した記憶。

それらは、後になってから
思い出を肴に友達と語り合える、確かな財産になる。

だから私は、無理のない範囲で、
できるうちに、できることを楽しんでいたいと思っている。

体が動く時間は、思っているより短い。
そして、その時間にしか使えないお金がある。

お金を「何に使うか」は、
人生の後半になってから、思っていた以上に効いてきます。

▶︎ 本当に欲しいものは、人生の後半にじわりと効いてくる

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この記事を書いた人

菊池百合子|50代・飲食店経営・海と山のある地方都市在住
家を手放して暮らしを再設計し、
50代からのお金・不動産・介護・働き方を整えてきた生活者です。
不動産売却の実体験、介護と仕事の両立、NISAや高配当株の運用など、
「人生後半を軽やかに生きるヒント」を等身大で発信しています。

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