年齢を重ねるほど、
私は“手”という存在の大切さに気づくようになりました。
小さな火傷を繰り返しシミだらけで
シワもあって血管が浮きでた私の手。
顔は鏡を見なければ見えないけれど、
手はいつでも、どんな瞬間も、私の視界にあります。
料理をするときも、冊子にメモを書くときも、
買い物袋を持つときも、病院で夫の手を支えたあの日も。
だからこそ、この手を少しだけ丁寧に扱うと、
不思議なくらい心が整うのです。
お風呂上がりの静かな時間。
ハンドクリームをゆっくり馴染ませて、
甘皮をそっと整え、爪にオイルをひと滴。
ほんの数分なのに、手は柔らかくなり、
色が明るくなり、まるで表情が変わったように見えます。
その変化を見るたびに、ふと思うのです。
「手は顔よりも、自分が目にする時間が長いんだな」 と。
だから手を整えるという行為は、
外側を飾るためというより、
“自分を雑に扱わない”という静かな宣言 なのかもしれません。
若い頃のようなハリはなくても、
シミや火傷の跡があっても、
ケアをした手は確かに美しい。
それは“若さの美しさ”ではなく、
“自分を大切に扱ってきた人だけが持つ美しさ”。
ピカピカの新品より、
手入れの行き届いたクラシックカーが放つ深い艶。
私が目指すのは、まさにその味わいです。
手を丁寧に扱うことで、
毎日の自己肯定感がそっと持ち上がる。
それは、50代になって初めて知った感覚でした。
この手は、ずっと長い時間、
私の人生を見つめ、支えてきた相棒。
これからはほんの少しの時間でもいいから、
この手を労わりながら、ゆっくり歳を重ねていこうと思います。
夜の手入れに使っている“手を労わるアイテム”をのせてます。
自分を丁寧に扱う時間のきっかけになればうれしいです。
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