難病と告げられてから、友達に泣くのを手伝ってもらった話

夫が難病だと告げられた直後、しばらくの間は現実感がなかった。
医師の説明を聞いても、どこか他人事のようで、日常はそのまま続いていくように感じていた。

けれど、病名を調べ、今後の経過を知り、夫の様子を注意深く見るようになるにつれて、悲しみはじわじわと、確実に膨らんでいった。

子どもはまだ小さかった。
夫の前で泣くわけにもいかなかった。
家の中で私が崩れたら、全部が崩れてしまう気がして、気丈でいようとした。

でも、このまま感情を溜め続けたら、自分が壊れてしまう。
そう感じるほど、悲しみは限界に近づいていた。

どうしたらいいか考えた末、私は「泣くことにした」。

今思えば少しおかしな言い方だけれど、衝動ではなかった。
一人で泣くのではなく、信頼できる人に、その場に立ち会ってもらいたかったのだと思う。

学生時代の友人たちに事情を話し、集まってもらった。
総勢五人。
集合場所は、駅前の雑居ビルに入っているカラオケボックスだった。

ドリンクを頼み、歌は一曲も歌わない。
私は自分の現状を、泣きながら話した。

事情を知らなければ、友人たちも変に勘ぐったり、気を遣わせてしまう。
だから、現実も感情も、包み隠さず全部出した。

傍から見たら、かなり異様な光景だったと思う。
けれど、みんなは真剣に聞いてくれた。
私は安心して、大泣きした。

あのときのことを思い出すと、「泣いた」というより、
泣くことを許された感覚に近い。

結果として、悲しみが消えたわけではない。
今でも変わらない。

ただ、不思議なことに、気持ちは切り替わった。
病と向き合う覚悟ができた、という表現が一番近いかもしれない。

あの夜は、私の中の大切なシーンだ。

後になって思うのは、悲しみは我慢して消えるものではないということ。
そして、誰にでも、どこでも、ぶつけていいものでもないということ。

だから私は、
誰に、どこで、どう泣くかを選んだのだと思う。

もし今、どうしても苦しいのに泣けない人がいたら、無理に一人で抱え込まなくていい。
感情を吐き出すには、安全な場所が必要だ。

あの夜の私は、弱くなったのではなく、
立て直す準備をしていたのだと思っている。


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この記事を書いた人

菊池百合子|50代・飲食店経営・海と山のある地方都市在住
家を手放して暮らしを再設計し、
50代からのお金・不動産・介護・働き方を整えてきた生活者です。
不動産売却の実体験、介護と仕事の両立、NISAや高配当株の運用など、
「人生後半を軽やかに生きるヒント」を等身大で発信しています。

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