若い頃は、無理がきいた。
疲れ切っても一晩寝れば回復したし、
多少無茶をしても「気合」でどうにかなった。
でも、アラフィフになった今は違う。
一晩寝ても疲れが取れない。
完全に回復した感じがしない。
まるでへたったバッテリーみたいに、
フル充電まで戻らない。
だから最近、はっきり思う。
疲れ切ってはいけない。
高地トレーニングみたいな人生を生きていた
振り返ると、私はずっと
高地トレーニング状態で生きていた。
店も家庭も一人で支えて、
常に余力ゼロ、酸素が薄い場所で走っている感覚。
・息が浅い
・一歩進むのに気合がいる
・止まったら崩れそうで止まれない
それでも、そこで鍛えられたものは確かにあった。
持久力も、判断力も、踏ん張る力も。
高地にいれば、息苦しさには慣れる。
でも「慣れた」のと
「余裕がある」のは違う。
私はずっと、
余裕のない場所で踏ん張り続けていた。
星飛雄馬の「大リーグボール養成ギプス」
この感覚を説明するのに、
私の世代ならすぐ浮かぶものがある。
星飛雄馬の大リーグボール養成ギプス。
重たいギプスをつけて生活し、
外した瞬間に力が解放される、あれだ。
私の場合、そのギプスは
・住宅ローン
・大きすぎる家の管理
・常に背負っていた責任
・「私がやらなきゃ」という緊張
だったと思う。
家を売却し、
ローンがなくなり、
暮らしをダウンサイジングした。
すると突然、世界が軽くなった。
頑張っていないのに動ける。
息が深く吸える。
ブログも、驚くほどさくさく書ける。
才能が急に増えたわけじゃない。
重りが外れただけだった。
へたったバッテリーを前提に生きる
アラフィフになると、
体はもう新品のバッテリーじゃない。
ゼロまで使い切ったら、
元に戻らない。
だから大事なのは、
疲れてから回復することではなく
疲れ切らない設計にすること
普段は出力50%で回す。
流せる仕組みを作る。
ここぞという時だけ、100%を使う。
これは甘えでも衰えでもない。
成熟したエネルギーマネジメントだと思っている。
昭和の根性論から、次のフェーズへ
昭和の根性論が間違っていたわけじゃない。
あの時代には、あの頑張り方が必要だった。
でも今は違う。
ずっとフル出力で生き続けるのは、
もう無理がある。
私はこれからも頑張る。
ただし、
・壊れない範囲で
・回復できる余力を残して
・長く続けるために
その頑張り方を選びたい。
高地トレーニングを終えて、
ギプスを外して、
へたったバッテリーを労わりながら生きる。
それが、
今の私にちょうどいい生き方だ。
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