夫は、車椅子で過ごす時間が増えてきました。
去年と比べて体力が落ちているのは、はっきりとわかります。
難病と共に生きる日々の中で、できることは少しずつ減っています。
それでも、私が面会に行くと、彼はとても嬉しそうにします。
差し入れに持っていくのは、特別なものではありません。
小さなおやつを一つ。
施設の食事と一緒に、それを分け合って食べる。
そして、もう何度も何度も聞いた昔話を、また聞く。
それだけの時間です。
けれど彼は、本当に楽しそうなのです。
「足りない」より「ある」を見ている人
施設で出されるご飯を、彼はいつも「美味しい、美味しい」と言って食べます。
特別な料理ではありません。
でも、不満を口にすることはほとんどありません。
ささやかなおやつを一緒に味わいながら、
「今日はいい日だね」と言う。
その姿を見ていると、
幸せというものは、出来事の大きさで決まるわけではないのだと気づかされます。
環境が変わっても、幸せの温度が変わらない
彼のすごいところは、
どこにいても、喜び方の温度が変わらないことです。
高級ホテルのハレクラニでも、
今いる施設でも、
評判のレストランでも、
コンビニのスイーツでも。
どれも同じように、嬉しそうに受け取って、味わって、喜びます。
「もっと良い環境だったら幸せ」
「条件が整えば満たされる」
そう考えがちな私にとって、
彼の在り方は、価値観を静かに揺さぶるものでした。
支える側が、癒されている
介護というと、
「支える人が大変」「支える側が消耗する」
そんなイメージが先に浮かびます。
もちろん、現実的な大変さがないわけではありません。
それでも私は、
彼と過ごすこの時間から、たくさんの癒しを受け取っています。
何も特別なことをしなくても、
「今」をちゃんと味わっている人のそばにいると、
心が落ち着くのです。
人生の後半で、見直したいもの
年齢を重ねると、
私たちは無意識のうちに、
「もっと」「まだ足りない」と思いがちになります。
でも、夫の姿を見ていると、
幸せは増やすものではなく、
感じ取る力なのかもしれないと思うようになりました。
大きな出来事がなくても、
特別な場所にいなくても、
一緒におやつを食べて、同じ話を笑って聞く。
そんな時間が、
確かにここにある幸せなのだと。
答えを出すつもりはありません。
ただ、人生の後半をどう生きたいかを考えるとき、
この感覚は、私にとって大切な指針になっています。
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