いつもうっすらと疲れている理由──介護で「自分を後回し」にしてきた人の回復の話

介護をしていると、
いつもどこかに薄い疲れが張り付いているような感覚になる。

一日中泣いているわけでもないし、
絶望しているわけでもない。
外から見れば、普通に生活しているように見えると思う。

でも実際は、
心のどこかにどんよりとした思いが澱のように溜まっていて、
慢性的な睡眠不足で、朝起きてももう疲れている。


介護は、身も心も、そして財布も削られる。

お世話をしなければ命に関わるから、
どうしたって最優先にせざるを得ない。

そこに子育てや仕事が重なれば、
自分のことは自然と後回しになる。
「今は私じゃない」
その判断を、毎日何度も繰り返している。


どこにも行けないときの、私なりの回復方法

そんな生活の中で、
どこかに出かける時間も気力もお金もないとき、
私がよくやっていたことがある。

それは、コンビニで好きなものを買うことだった。

とても小さな行動だけれど、
私にとっては意外と大きな意味があった。


コンビニに入って、
スイーツ、お菓子、飲み物、ちょっとした惣菜。
「これもいいな」「あ、これも食べたい」

そこで私は、あまり考えない。

高いからやめておこう、とも、
一つに絞らなきゃ、とも考えない。

ただ、欲しいと思ったものを全部カゴに入れる


長女気質と「欲しいと言えなかった過去」

思えば私は、典型的な長女気質だった。

小さい頃から
「買うのは一つまで」
「我慢しなさい」
そんな言葉を当たり前のように聞いて育った。

あれも欲しい、これも欲しい、とは言えなかったし、
言ってはいけない気がしていた。


だから大人になった今、
コンビニで好きなものを選ぶ時間は、
まるで小さい頃の自分に
「いいよ、全部選んでいいよ」と言ってあげる行為だったのかもしれない。


それは浪費ではなく、回復だった

たくさん買ったからといって、
全部を自分で食べなくてもいい。

家族に分けてもいいし、
喜んでもらえたらそれも嬉しい。
もちろん、全部自分で食べたっていい。


大事なのは、
選ぶ自由
満たしていいという許可
自分に出してあげることだった。

あとから振り返ると、
あれは浪費ではなかったと思っている。

疲れ切った心が、
ほんの少し息をつくための回復だった。


自分を回復させることは、贅沢じゃない

介護をしていると、
「自分に使うお金」
「自分を甘やかす行為」に
罪悪感を抱きやすい。

でも、削られ続けるだけでは、
人は持たない。


大きなご褒美じゃなくていい。
遠くに行かなくてもいい。
時間もお金も、ほんの少しでいい。

自分の欲求を否定しないこと。
それだけで、心は少し戻ってくる。


いつもうっすらと疲れている自分を、
怠けていると思わなくていい。

それは、
ちゃんと誰かを支えてきた証拠だから。


もし今、理由もなく疲れているなら、
それは甘えではなく、回復が足りていないだけかもしれません。


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この記事を書いた人

菊池百合子|50代・飲食店経営・海と山のある地方都市在住
家を手放して暮らしを再設計し、
50代からのお金・不動産・介護・働き方を整えてきた生活者です。
不動産売却の実体験、介護と仕事の両立、NISAや高配当株の運用など、
「人生後半を軽やかに生きるヒント」を等身大で発信しています。

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