涙が消えないのは未熟だからじゃない──揺れ続ける心を肯定する、小さな哲学

私たちはどこかで「強くなるとは、涙が消えること」だと思い込んでしまったのかもしれません。
けれど、悲しみも喜びも、すべては“生きている証”として宿っているだけ。
心が揺れるのは未熟だからではなく、「まだ感じる力が残っている」という尊い事実です。

今日の話は、
“真理と感情は矛盾しない”
という、少し静かで、でも温かい哲学の話です。


目次

涙が消えない理由を、誤解しなくていい

人生で深く傷ついた経験ほど、記憶の底に染み込むように残ります。
そして、ふとした拍子に、思いがけない場面で涙が込み上げてくる。

そんなとき、心のどこかでこう囁く自分はいませんか?

「まだこんなに泣いているなんて…成長していないのかな」
「もう手放したはずなのに、どうして?」

でもね、これだけは確かに言えるのです。

涙が消えないのは、心が未熟だからじゃない。
むしろ “よく生きてきた証” だから。

人は、経験を理屈で完全に封じ込められるほどシンプルな存在ではありません。
身体の奥に刻まれた“情”は、私たちが思っている以上に誠実に反応します。


真理と感情は矛盾しない

たとえば仏教の「色即是空」。
この言葉は「すべては空(うつろ)であり執着しないほうがいい」という
“感情は否定されるべき” という意味だと誤解されがちです。

でも本当は逆。

感情は否定されない。
ただ、それに絡め取られて苦しまなくていいという道が示されているだけ。

悲しみが湧いたら、それは“真理に触れた証”。
喜びが満ちれば、それもまた“真理のひとつ”。

私たちの感情と、世界の真理は矛盾しない。
むしろ美しく響き合っている。


心が揺れること自体が、美しさの証

人の心って、絶えず満ちたり欠けたりします。
まるで月のように、静かに、でも確実に。

満月のように心が満ちる日もあれば、
欠けて欠けて、何も残っていないように見える新月の日もある。

でもね、どちらも美しいんです。

揺れるということは、まだ “感じている” ということ。
そして感じられる心は、生きる力そのもの。

凪にならないのは弱さじゃない。
むしろ、人生をちゃんと味わってきた証拠。


それでも涙が出る夜には

涙の理由がわからない夜があります。
心の奥に触れてしまったとき、言葉にならない痛みが蘇ることもある。

そんなとき、どうか自分を責めないで。

涙は、あなたが誠実に生きてきた証。
何かを大切にしてきた証。
誰かを深く愛した証。

真理と感情は矛盾しない。
空でありながら、情があり続ける。
これが人という生きものの、なんともいえない美しさです。


結び──“涙があっていい人生” で生きる

心が揺れる日は、生きている日。
涙が出るのは、あなたが何かを失い、何かを守り、誰かを愛し、誰かを手放した証。

凪にならない心は、欠陥ではありません。
むしろ、あなたが歩いてきた人生の軌跡そのもの。

どうか今日の涙も、明日の微笑みも、
“どちらも私の一部” とそっと抱きしめてあげてください。

それが、静かに自分を取り戻す最初の一歩だから。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

菊池百合子|50代・飲食店経営・海と山のある地方都市在住
家を手放して暮らしを再設計し、
50代からのお金・不動産・介護・働き方を整えてきた生活者です。
不動産売却の実体験、介護と仕事の両立、NISAや高配当株の運用など、
「人生後半を軽やかに生きるヒント」を等身大で発信しています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次