世界が揺れるのは“自分の中だけ”──交通事故を目撃して気づいた日常の脆さ

近所のスーパーへ向かうだけの、なんてことない午後。
横断歩道を渡る中学生の女の子に、右折の車がぶつかった。

泣きじゃくる少女。
オロオロして立ち尽くす高齢の運転手。
私は警察と救急に電話して、できる範囲のことを淡々とした。

幸い、命に関わるような怪我ではなさそうだった。
きっと数週間すれば、また普通の日常に戻っていく。

でも、この出来事の「本質」は、別のところにあった。

それは “世界は自分だけのものじゃない” という冷たい事実 だった。


私の目の前には、少女の震える肩があり、
運転手の動揺した呼吸があり、
胸がざわつくような、現実の重みがあった。

けれど、そのすぐ脇を──
何事もなかったかのように車が次々と通り過ぎていく。

そこに事故があったことすら気づかないまま
あるいは、気づいたとしても自分の生活へと戻っていく。

“私の中の世界だけが、大きく揺れている”
そんな不思議な感覚だった。

傍観者のように見える人たちも、実はただの「日常の通過者」。
そして、私自身も同じように──
この出来事の“外側”にいる傍観者にすぎない。

重大な事故が起きても、世界は止まらない。

家族にとっては人生が変わっても、
社会は何事もなかったように、ただ静かに流れていく。

それが、なんとも言えず残酷で、
だけど同時に “人が生きるということ” の一部でもある。


こういう瞬間に思うの。

私たちの人生は、いつだって薄い膜の上を歩いている。
今日が当たり前に過ぎるのは、本当は奇跡みたいなこと。

だからこそ、
私は毎日を「丁寧に生きたい」と思うし、
心・暮らし・お金を整えたいと願う。

世界は淡々としている。
だからこそ、自分の人生は自分で大切にするしかない。

そう感じた午後だった。


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この記事を書いた人

菊池百合子|50代・飲食店経営・海と山のある地方都市在住
家を手放して暮らしを再設計し、
50代からのお金・不動産・介護・働き方を整えてきた生活者です。
不動産売却の実体験、介護と仕事の両立、NISAや高配当株の運用など、
「人生後半を軽やかに生きるヒント」を等身大で発信しています。

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