― 親の価値観をそっと手放した瞬間 ―
私の中で“ハイブランド”といえば、ルイ・ヴィトンだった。
地方都市にも店舗があって、バブルの頃に新卒で入社した会社では
先輩OLたちが当たり前のようにヴィトンのバッグを持っていた。
エビ柄のノエ。
モノグラムのスピーディ。
若い頃の私には完全に手の届かない世界の象徴だった。
■ 大人になって気づいた「親の目」の重さ
時が流れ、自分にも少し経済的な余裕ができた頃。
「若い頃の憧れだったヴィトン、そろそろ買ってもいいかな」
そう思ってお店を覗いた。
でも、買えなかった。
理由はただひとつ。
親の目が怖かったから。
「そんな贅沢して。」
「バッグなんてなんでもいいでしょ。」
「無駄遣いしてどうするの。」
…そんな声が、自分の中にこだましていた。
もう大人なのに。
自分で稼いだお金で買えるのに。
それでも、心のどこかで“怒られる気がした”。
振り返ると、これって立派な 価値観の呪い だった。
「清貧こそ美徳」
「高いものは贅沢」
「贅沢してはいけない」
親を責めたいわけじゃないけれど、
その価値観は確かに私の中に強く刷り込まれていた。
■ モノグラムは、ただのバッグじゃなかった
私は無駄遣いは嫌いだし、見栄でブランド品を買いたいわけでもない。
でも、ヴィトンは長く使えるし、
飽きて手放したくなってもリセールがいい。
“高いけれど、実はとても合理的”な買い物だったりもする。
それなのに、買うまでに数年かかった。
覚悟を決めて購入したモノグラムのスピーディは、
私にとって
「親から受け継いだ価値観をそっと手放した象徴」
になった。
「自分のお金で、自分の価値観を選んでもいい」
そう思えた初めての瞬間だった。
そこから、私は少しずつ
自分の人生の舵を自分で切る感覚を取り戻していった気がする。
■ あれから10年。今も現役
あの日買ったスピーディは、
10年以上経った今も私の相棒だ。
持ち手のヌメ革がいい感じに色が変わってきている。
どこにでもあるモノグラムだけれど、
私にとっては特別。
あの時、ひとつ価値観を壊して、
新しい自由を手に入れた証。
これからも大切に使っていくつもり。

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