なぜ私は倒れるまで休めなかったのか。親の価値観という見えない“呪文”の話
頑張りすぎてしまう人ほど、
自分の限界に“気づけないまま”走り続けてしまいます。
境界線シリーズの一つとして、
これは 「自分自身に対してどこで線を引くか」 を扱った記事です。
あの日の気づきを丁寧に残しておきます。
宿屋の話を書いていて、
ひとつハッキリ思い出したことがある。
なぜ、私はあそこまで倒れるまで休めなかったのか。
根性があったから?
責任感が強かったから?
仕事が好きだったから?
もちろん、それもある。
でも本当の理由は——
親の価値観が私の中に深くこびりついていたからだ。
■ 親の世代が持っていた“昭和の呪文”
私は昭和ど真ん中の生まれ。
でも親はさらにその上の世代、
戦後を生き抜いてきた価値観をそのまま持っている時代の人。
・休む=怠け者
・働く=正義
・気合でなんとかする
・お金は汗水流して稼ぐもの
・店は定休日以外は絶対に開けるべき
・仕事に穴を開けるなんてありえない
・這ってでも仕事しろ
この価値観が、
言葉で教わったわけじゃなくても
家庭という“場”で自然としみ込む。
(汗水流して、這ってでもは実際言われた)
これ、ほんとうに強力なの。
まるで呪文みたいに。
気づかないうちに
「疲れたら休む」が
そもそも選択肢に入らなくなる。
もう完全に“無意識レベル”。
■ 両親は二人で店を回していた。私は一人になっても同じ働き方をしてしまった
親は夫婦で店を営んでいて、
“二馬力”が当たり前だった。
でも私は、夫が倒れて一馬力に。
本来なら働き方を変えるべきだったのに、
親の時代の働き方を、そのまま引き継いでしまった。
そりゃ倒れるよ。
だって、
二人でやる量を一人でやって、
しかも時代は全然違う。
でもその時の私は、
“定休日以外休む=悪”
という価値観から抜け出せなかった。
怖かったんだよね。
休んだら店が悪くなる気がした。
収入が減る気がした。
怠けていると思われる気がした。
そして何より、
親に「甘えるな」と言われそうな気がした。
言われていなくても、
心の中で“勝手に言われている感じ”があった。
これこそが
価値観のこびりつき=洗脳だよね。
■ 身体が鳴らしたアラーム。あれは“最後の警告”だった
羽毛布団が重い。
頭がジーンと痛い。
握力がなくて家事もできない。
あれはただの疲れじゃない。
身体が必死に叫んでいた。
「もう無理だよ」
「このままだと本当に壊れるよ」
「早く宿屋へ行け」
もしあの時、
気づかずに突っ走っていたら——
ほんとうに命を落としていたかもしれない。
それくらいギリギリだったんだよね。
■ 時代は変わった。価値観も更新していい。
昭和の価値観は、その時代には必要だった。
休んだら生活できない時代だったから。
でも、
令和を生きる私たちは違う。
・働き方は選べる
・働く場所も選べる
・休むことは戦略
・心と身体を守ることも仕事
・価値観はアップデートできる
・親と同じ生き方をしなくていい
昔の呪文に縛られて生きる必要はない。コロナでも学んだよね、休むのも周りのためになるって。
“価値観を刷新する”って、
知的で誇れる行動なんだよ。
■ 私が沖縄で得た一番大きな気づき
沖縄の空気に触れたとき、
スッと胸に落ちた言葉がある。
「私はもう違う時代を生きているんだ」
親のやり方を否定するわけじゃなくて、
「私は私の方法で生きていいんだ」って
やっと理解できた。
宿屋に入るように旅に出ることも、
戦略的に休むことも、
働き方を軽くすることも——
全部、今の自分に必要な“新しい価値観”だった。
■ おわりに
もしあなたが、
「倒れるまで頑張ってしまう」
「休むと不安になる」
「根性で生きてきた」
「親の価値観が抜けない」
そう感じているなら、
それは弱さでも怠けでもなくて、
ただ“時代の呪文”がまだ心に残っているだけ。
それは解ける。
更新できる。
変えていい。
ユリコは、
あの日、倒れたことでその呪文が解けた。
そして今、新しい旅が始まっている。
関連記事はこちら↓
理不尽な相手に乱されないために
コメント