私はこれまで、
人生の問題を“戦う”か“耐える”かの二択で考えてきた。
気合い、根性、責任感。
それさえあれば乗り越えられると信じていた。
でも、アラフィフに入ってからの私は、
自分で思っている以上に
HPもMPも削られ続けていた。
それに気づいたのは、
ある日の朝のことだった。
■ 羽毛布団さえ重くて、起き上がれなかった朝
その日は、まるで体が鉛になったようだった。
羽毛布団が、鉄の板みたいに重い。
起き上がるだけで息が切れる。
後頭部がジーンと痛んで、
何を考えてもうまくまとまらない。
無理やり家事をしようとしても、
トイレブラシを握る握力すら残っていなかった。
全身が、内側から壊れていくような感覚。
初めてだった。
こんな種類の“限界”は。
■ 病院に駆け込んでわかったこと
「何かの病気だ」
そう思って病院へ行った。
血液検査も、画像検査もたくさんした。
緊張しながら結果を待っていると、
医師が静かに言った。
「過労ですね」
病気ではない。
安心したようで、どこか安心できなかった。
これは体からのアラームだと思った。
“過労”という診断の裏には、
“このまま放置したら本当に病気になるよ”
という警告が隠れているから。
その瞬間、冷静な自分が心の奥から出てきた。
「このまま死んだら、絶対に後悔する」
そう思った。
■ そこで、突然“旅立ち”のスイッチが入った
なぜかその瞬間に、
いろんな“常識”が吹っ切れた。
・店を休んではいけない
・旅行に行くなんて贅沢
・収入が減るのは不安
・母親なんだから
・働かなきゃいけない
こんな思い込みの呪いが解けたように、
急に、静かに、“旅立ち”を選べた。
沖縄へ行こう。
休もう。
一度、人生の宿屋に入ろう。
そう思えた。
ドラクエの宿屋みたいに、
一晩寝ればHPもMPも完全回復……
とは現実はもちろんいかない。
でも、
“宿屋に入る”という行為そのものが、
人生に必要な回復コマンドなんだと
その時、初めて実感した。
■ 人生にも「宿屋」は絶対に必要だ
私たちはつい、
HPが赤ゲージになっても、
MPがゼロになっても、
“まだ行ける気がする” と錯覚して進んでしまう。
根性で乗り切ることが
大人の正解だと思い込んでしまう。
でもね——
ロンダルキアでMPゼロのまま突っ込めば、
誰だって全滅する。
宿屋に入るのは、
甘えでも贅沢でもない。
旅を続けるための、
戦略的な回復行動だ。
■ 私にとって沖縄は、“人生の宿屋”だった
海の色も、風の温度も、
見たことがないくらい優しかった。
日常から解き放たれて
ただ眠り、
ただ歩き、
ただ呼吸していたら——
HPもMPも少しずつ戻ってきた。
思い込みでガチガチに固まっていた心が、
ふわっとほぐれていく感覚。
あの旅で、私はひとつ覚えた。
“倒れる前に宿屋に入る”という勇気は、
人生の旅を長く続けるために必要なスキルだ。
■ おわりに
人生は長い旅だ。
全力疾走は続かない。
HPもMPも、有限だ。
逃げることも、回避することも大切だけれど、
回復する場所を持つことはもっと大切。
私にとって沖縄は宿屋だったけれど、
人によっては別の場所かもしれない。
どんな形であれ、
自分を回復させる場所を
人生のどこかに持つこと。
それが、
アラフィフからの“賢い旅の仕方”だと思っている。

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